自主公開プログラム

2015年3月第三週

第11回:志を大きく持って幸福な人生を送ろう

  中国の古典で、「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という箴言(しんげん)があります。大空のおおとりの志を燕や雀のような小さな鳥たちがわかるものか、小人物には、大人物の志はわからないという意味です。項羽の言葉といわれていますがいかにも項羽らしい野心家の言葉です。(今からおよそ2200年前に中国統一を果たした秦の始皇帝の末期時代、楚の項羽は、漢の劉邦と共に力を合わせて秦の始皇帝打倒を目指します。秦の始皇帝の死後、劉邦と覇権争いをし、劉邦に敗れます。天下無敵の武勇を誇った項羽が劉邦に破れたのは、項羽の人望の無さに起因したといわれています)。偉大な人物は高い志を持っており、君たちとは違うのだといわんばかりのいささか傲慢な表現で、人を食ったような言葉ではありますが、高い志をもつことの大切さ、人物の偉大さを強調しています。意味合いは異なりますが、「井の中の蛙、大海を知らず」と同じ類の格言で、視野を広げ、志を大きく持つことの大切さを教えています。晩年の孔子は、自分の人生を振り返って、「吾十有五にして学に志す」といっています。そのあと、三十にして---,四十にして----五十にして----,六十にして----,七十にして----」と続きます。
  明治時代、北海道開拓のため札幌の農学校の初代校長としてアメリカからやってきたクラーク博士は、退任するとき、私のような老人でさえもっているのだからまして君たち若者は、大志を抱け(Boys,be ambitious like this old man)と日本の学生を鼓舞しました。また、私たちがよく知っている、今でもよく歌われる愛唱歌童謡の「ふるさと」の歌詞に「志をはたして、いつの日にか帰らん。山は青きふるさと、水は清きふるさと」があります。「故郷に錦を飾る」という言葉もありますが、響きの良い言葉です。昔から古今東西を問わず、志を果たす道筋が人生そのものであるともいえます。
  このようにプラスの大きな夢や希望と大きな志、目標を立て、達成に向けて誰にも負けない努力をしていくことで大成していきます。日々の仕事に熱意を持って精魂こめて一生懸命努力してきた人や、ひとつのことに打ち込み成し遂げた方々の講演・テレビ・インタービュー記事などを読むと、心の琴線(きんせん)に触れ感動を引き起こします。
  このことからもわかるように、一生懸命努力し仕事に励むことは日々の精進につながり、おのずと魂が磨かれ人格が形成されることにつながっていきます。また、「継続は力なり」といわれるように努力し続けることで能力も向上し力量となって身についてきます。経営者と従業員が共に成長し、人間性の向上に努めることが幸福な人生につながります。
  ところで、志と同じ様な言葉に野心という言葉がありますが、これは区別しておきましょう。野心とは、どちらかというと強欲・私欲(自分だけの夢の達成、他人をかえりみない)に満ち溢れた場合を表現するときに使用され、志は大欲(公欲、皆のためになるための夢の達成)を表現します。善悪の区別は、この志(大欲、利他)と野心(私欲、利己)の区別と似ています。悪行の原因となる多くは、私欲にとらわれすぎることから起きる場合が多いからです。野心家とはある意味では、利己的な考え方が利他より大きいことの裏返しです。

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