2015年4月第三週
第15回:よい友、よい仲間を持つことで幸福な人生を送ろう
イソップ物語に、熊と二人の旅人の話がある。熊と出会って一人は、木に上って難を逃れたが、もう一人は、逃げ遅れて、仕方なく死んだふりをして地面に横たわった。熊は、死んだ振りをした旅人の耳元に口を摺り寄せていたが、しばらくして立ち去った。自分だけ木に登って難を逃れた旅人は、木から降りてきて、さっき熊が君の耳元で何かしていたようだが、と聞いた。友人は、熊は、友達を見捨てて逃げるような人は友人にするなと教えてくれたといった。いざというときに見捨てるような人と友達として付き合ってはならないと教えるためにそのような場面を作り出したのであって、「熊に出会ったら、死んだふりをすると助かる」ということではないのだが、巷には「熊と出会ったら死んだふりをすれば助かる」と誤解する人もでてきます。
人生に誤解は、つきものだが、誤解で命を落すこともある。「熊に出会ったら、死んだふりをすると助かる」、という迷信と誤解が一人歩きするようになり、現実には、このことを信じて命を落すこともたびたびあるようですのでくれぐれもお気をつけください。
ところで、論語でも、親友として付き合うべき人の例として、直きを友とし(うそ偽りのない正直な人物)、まことを友とし(物事に真摯に向き合う誠実な人物)、多聞を友とする(博学、物知りな人物)は、益なり(益者三友)とし、親友として付き合ってはならない人の例として、ベンペキを友とし、善柔を友とし、ベンネイを友とするは損なり(損者三友)という言葉がある。親友にしてはいけない人(損者三友)とは、①本心とは裏腹に平気で人に媚(こび)を売るタイプ、②裏表のある曲者、③話術巧みな口先だけの人。このような人を、付き合って害になるタイプの人の例としてあげている。「巧言令色、少なし仁」、といわれるように、このような人とは、友達としては、ある一定の距離を置くとか、出来れば、最初から付き合わないほうが利口だと教えています。まさに、「君子危うきに近寄らず」というわけで、ヨーロッパでも東洋でも、いつの時代でも変わらない人間関係の原理原則のようなものです。論語で「知る」という言葉は、知識を得ることそのものを意味しているわけではなく、胆識即ち行うことができることまでを意味しています。「知行合一」の奥深い世界です。「論語読みの論語知らず」とは、「知行合一」にまったくなっていない状況、即ち、「知る」といういみを誤解して知識だけで行動が伴わないことを揶揄している言葉なのです。
1990年代後半に始めて遭遇して感心した言葉で、当時、何度も復唱し覚えようとした言葉に「その為すところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞかくさんや、人いずくんぞかくさんや」(孔子の人物観察法:視、観、察)があります。外面に現れた行為、行為の動機、最終的な目的即ち落ち着くところを見れば、その人の真の性質が明らかになるということであり、まことに的をえた箴言だと思います。