自主公開プログラム

2015年6月第三週

第23回:先週からの続き

  

若くしてそんな心境になったのです。立派な役人となった彼は、若くして悟ったので、人と競争したり、金を儲けようという気持ちがすっかりなくなり、落ち着きが出て、風格が備わってきます。あるとき彼は、仕事の役目で南京付近の寺に滞在することになり、そこで雲谷という禅師に出会います。その禅師が、袁青年に「密かに観察していると、あなたは歳に似合わない風格を備えているようです。これまでどういう修業をしてこられたのか」と尋ねます。袁青年は、以前は医学の勉強をして立身出世をしようと思っていたこと、ある老人と出会って運命を言い当てられてから人間の運命はどうにもならないと悟り、いっさい悩まないことにしたことなど、これまでの体験を包み隠さず話します。聞き終えた禅師は、「そんなことなら、おまえはまことにつまらぬ人間である。見損なった」と大声で笑い出します。そして、そのような考えでは、偉人、聖人といわれる人たちが何のために学問修業をしたのか全く意義がなくなってしまうこと、自分の運命は自分でつくっていくのであり、「学問修業とは人間が人間をつくっていくことなのだ」と語ります。運命が初めから決まりきっているという考えに従うことは、学ぼうとしないことと同じだとして、運命というものの非を説いたのです。そう言われて袁青年は目を見開かれ、初めて自分がいかに凡人であったかを理解します。それは、かなりの衝撃だったようで、「了凡」と号を変えたほどです。これを転機として、禅師に言われたように運命に支配されているという意識から開放されて、積極的に今やっていることに取り組み、自分の選択に責任を持ちながら、自由な生活を始めるのです。

不思議なことに、とたんにこれまで信じていた予言がことごとくはずれ出し、できないと言われた子供が授かり、死ぬと言われた年を過ぎていくという、これまでと全く違った流れが起こり始めます。こうして袁青年は、自らの力で進歩向上し、出世の道を歩み、晩年になってから、これまでの経緯を子供たちへの教訓として『陰隙録』に書き残したというわけです。この教訓は、現代に生きる私たちにも大切なことを教えてくれます。確かに袁青年は、運命に従って役人となり、運命を受け止めることで「修業」を続けてきました。その甲斐あって立派な役人になったのです。みごとな人格者であった袁役人が「了凡」となって、何が変わったのでしょうか。いままで通り、彼は現実をしっかり見つめ、自己を律しながら毎日、眼前の仕事に真剣に脇目も振らず打ち込んで精進し続けました。たった一つの違いは、自分の人生は決められているという宿命と受け止めるのではなく、大字宙が自分を生かしていてくれるという「こころの目」を開き、大字宙との絆を感じ取りながら、よろこびのうちに生き始めたことです。彼にとって、運命に従うとは、天の配慮に心を集中し、天が自分に求めることを、私心なくひたすら誠実に懸命にやりとげていく、そのことの中によろこびが湧き出るのを体験したのです。私たちの人生は山あり谷ありで、自分の手に負えないようなこと、思いがけないことが突如として起こってくるものです。



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