自主公開プログラム

2015年9月第一週

第33回:勇気をもって事に当たる〔経営の12か条第9条〕

  

稲盛は、自分自身の実際の人生経験から経営者は勇気を持ってことにあたらなければならないことを実感し、「勇気を持ってことにあたる」を経営の原点のひとつに取り入れています。
稲盛は以下のように説明しています。

『私は、企業経営にあたり、「人間としてなにが正しいのか」という原理原則に従い、判断を下していけば誤りはないだろう考え、それをただひたすらに貫いてまいりました。
ところが多くの経営者の方が、原理原則で判断して結論を下さなければならないというときに、様々なしがらみが生じ、そのために判断を誤ることが往々にしてあるのです。
例えば、日本で工場用地の買収をしようとするときなどに地元での有力政治家の意向で横やりが入ったり、ときに社内不祥事が発生したときなどに、それを察知した暴力団など反社会的な組織が接触してくるといったことがあります。
そのようなときに、原理原則から判断して、企業経営にとってなにが正しいのかということが第一義にならず、なるべく穏便に済ませ、無用な派風を立てないということを判断の基準としてしまうことがあります。
経営者に真の勇気があるかないかを問われてくるのは、そのような局面であります。
よしんば、原理原則で結論を下し、脅迫を受けるなど、自分に災難が降りかかってくることがあろうとも、また、人からいかなる誹謗中傷を受けようとも、全てを受け入れ、会社のためにもっと良かれと思う判断を断固として下すことができる、それは、経営者が真の勇気を持っているからできることなのであります。
「こんなことをしたら、やくざから脅かされはしないだろうか」「経営者仲間から馬鹿にされ、つまはじきされないだろうか」などと迷いによって、正しい経営判断が出来なくなってしまいます。
そのために、本来なら簡単に結論付けられるはずの問題が、複雑怪奇の様相を呈し、解けなくなってしまうことがしばしば起るのであります』。
稲盛は、このように真のリーダーには、勇気を持って実践する覚悟が必要と断じています。

ところで、昭和の東洋思想家として知られた安岡氏は、人間の理解・能力レベルを「知識」(様々な情報を理性で知っていること)、「見識」(得た知識を信念まで落とし込み、自分のものとなっていること)、「胆識」(見識を魂のレベルまで落とし込み勇気をもって実践すること)と区別して説明しました。
このことから経営者に必要な勇気を「胆力」とも表現することがあります。

論語には、「義を見て為さざるは、勇無きなり」とあります。「勇と義」は君子として持つべき大切な徳でもありますが、「勇ありて義なければ乱を起こす」といわれるように、義なき勇は災いとなり、また、正しいこととわかっていながら、実行できないのは「勇」がないからだと孔子は断じています。
君子(リーダー)の条件は非常に厳しい道のりです。正しければ、「千万人といえどもわれ行かん」という勇ましい言葉もあります。
リーダーは、自分の権限内で責任を持ってさまざまのことに関して判断し、決定をしなければなりません。
なんでも指示を仰がなければできない人はリーダ失格のレッテルを貼られても仕方ないでしょう。



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