2025年12月2日
30. 「これを望むに木鶏に似たり」。木鶏について考えよう。
早いもので2025年も師走となりました。時のすぎるのはあっという間だと実感しながらこのコラムを書いています。
さて今回のテーマは「これを望むに木鶏に似たり」です。
木鶏とは何かの説明は先代のコラムを参照いただくとして、今回は私が映画のストーリーの主人公に木鶏を感じた話
をしたいと思います。先日、遅ればせながら映画『国宝』を鑑賞しました。
物語は主人公・喜久雄の幼少期から始まり、歌舞伎役者として人間国宝に認定されるまでの、苦悩と努力が折り重
なった壮絶な歩みを描いています。
まさに木鶏に似たりを感じたのは、終盤の喜久雄です。人間国宝として認められた頃の彼の立ち振る舞いは、まさに
「木鶏」の境地そのものでした。
何事にも動じず、感情を荒立てることもなく、静かでありながら強い存在感を放っている。
劇中、カメラマンが「私はあなたの娘です」と告げる場面がありました。喜久雄は驚くことも取り乱すこともなく、
淡々と「覚えているよ」と静かに返します。その姿は、見た目の冷たさではなく、長い修練の果てに辿り着いた、揺
るぎない精神そのものでした。
物語の前半で描かれていた苦悩に満ちた喜久雄の姿と、終盤に現れる「木鶏」の境地との劇的な対比は、まさに芸を
極めるとはこういうことなのだと強烈な実感を与えてくれました。
私たちの日々の仕事や人生でも、感情に振り回されることなく、淡々と、しかし確かに積み重ねていくことが重要で
しょう。特にリーダーであれば、常に冷静沈着に不動の精神で物事をとらえることが必要となってきます。
今月はそんな心持ちで、一歩ずつ進んでいきたいと思います。



